2008年8月18日月曜日

リハビリ

いままで一人で担当していた部門に僕が加わることによって少し楽になるはずだったのが、元々担当していた人が異動することになって大変そうな予感。

とりあえずしばらく動かないが動くと大変そうな案件の書類を読んでます。

 

2008年8月2日土曜日

シカゴに戻ってきました

NYC2日目(7/28):

10時前からNew York Public Library(5th Ave.@40th St.)で自習。
1.黄色本のマルチョイ残りの50問(27/50)、なんとか半分ほどはとれそうでちょっとほっとする。
2.Marinoのエッセイ講座・BarBri模試・SETの問題の模範解答見直し。
3.同級生に教えてもらった頻出ルール集(http://www.seperac.com/bar/#NYEssays  95年の7月試験から、05年の2月試験までの計20回の試験で出題されたルールをまとめたもの(アップデート版は有料)、基本的にルールはBarBri 黄色本のパクリ、レターで50ページ)を読みつつ、Marinoの予想論点で出ると言われたところ・個人的にちょっと厳しいところをマーク。
途中Zaiyaに買い出し→昼食。

Public Libraryは設備的には問題ないものの、しゃかしゃか音満開の大音量で音楽を聴きながら呪文を唱えている人(途中から周囲の人に対して威嚇するようになり、警備員により強制退場)等がいて若干雰囲気がよくない。

18時頃切り上げ、めんちゃんこ亭(45th St. bet. 3rd and Lex. Aves.)で夕食。

ホテルに戻り、先ほどマークした箇所+去年のLLM生が作成したdefinition集を部屋でぶつぶつと音読。Willsのelective shareの計算方法について確認。

23時頃就寝。

24時頃目が覚める。廊下が騒がしい。
のぞき穴からのぞくと隣室の客がドア全開でホテルの従業員に怒鳴り散らしている。
なかなか止まないので、「ドアを閉めてくれ、please」。とこの世に生を受けてから最高に心のこもったpleaseを繰り出す。
ベッドに戻るがまだ怒鳴り声が聞こえる。
もう一度のぞくと、ドアが10センチくらい開いており、そこから音が漏れている。

これで完全に眠れなくなる。「あぁ、あれもやってない」とか、「あれはもう一度確認しよう」とか、「持ち物のチェックも再度しよう」とか、いろいろ湧き出すこと湧き出すこと。
最後に時計をみたのが3時半くらい。隣室に迷惑かと思い、モーニングコールを頼んでいなかったが、そんなもん知るかということで、モーニングコールをお願い。

NYC3日目/試験初日(7/29):

6時にモーニングコールをお願いしていたが、5分くらい前に目が覚める。さすがに緊張している様子。
昨日買っておいたおにぎり、カロリーメイトを食す。

7時15分頃会場到着、ビニール袋(持ち込む荷物は透明のビニール袋に入れないといけない)をぶら下げた人たちが大勢いてちょっとおかしい。

7時半過ぎに試験会場に入場。
猛烈に寒い。寒いと聞いていたのでパーカーを持ち込んでいたが、足下からじんじんくる感じ。
「おまえらクールビズって知ってるか?日本ではみんなあっつい思いして耐えとんねん。それをサクッと無駄にしやがって。」とか思いながら、耐える。
PC立ち上げ、配られた紙に書いてある指示に従いSoftTest起動。特に問題無いようなので一安心。

音声によるガイダンス始まる。どこの野外コンサートで使うんやという巨大スピーカーから大音量で音が流れる。
耳栓をするとちょうど良い。

当たり前のように開始時間から若干遅れて試験開始。
午前中は、NYマルチョイ50問(マーク方式、60分)→エッセイ(PCまたは手書き、40分×3)
SoftTestに「Begin」と打ち込んで試験を始めるのだが、打ち込んでEnterを押下瞬間にSoftTest強制終了。
「えええぇぇぇぇぇぇぉぇ。」とか思いながら、「焦るな。」と自分に言い聞かせ、ピースサインで手を挙げる(システム関係のトラブルはピースサインで手を挙げ、普通の質問の時は普通に挙手することになっている)。
エンジニアの人がやってくる。「どうした?」
症状を説明しようとするが、「強制終了」を英語でどういうかが分からない。「Softtest is freeze ... frozen? frozen!」と軽く活用させてみると再起動せよとのお達し。

再起動すると、「xxxxxx(数字)に対応するコードを打ち込め」という英語の表示。それを見たエンジニアから「xxxxxxと打ち込んで。」という指示。
「いや、だからそれは違うだろう。そっちに何か表があってその対応するコードを打ち込まないといけないんだろう。英語読めんのか?」とか思うが、「xxxxxx」と打ち込んでみる。
当然、「コードが違う。」との表示。


「ちゃんと指示を読んでくれ。please」と昨晩つかったpleaseを超える心のこもったpleaseを繰り出す。
「こんなの見たこと無い。」とのありがたいお言葉。わらわらとエンジニアが集まり出す。
「こんなことしている場合ではない、マルチョイを解いている間はPC使わなくていいんだから、ここは英語は読めないけど、頼りになるはずの専門家集団に任せて、マルチョイ解こう。」と、問題を解き出すが全然頭に入ってこない。「こういうときには、すぐに頭を切り換えて、動揺してはいけないって過去の受験者のブログに書いてあったから、動揺するな、動揺するな。」とか考えながら英語を読む能力は僕には備わっていないことを知る。

その間に専門家集団がPCをいじり出す。「ミュージック」のフォルダを開けている。
「ここでBarBriの講義のダウンロードとか流れたら結構おもしろいかも。」とか考える。
再度再起動、同じ画面が表れる。ごにょごにょといじくり回している。
それをチラ見しながらなんとかマルチョイを解こうとする。
何回かコードを入れているが、全然合わない。
ちょっと画面が切り替わる。「この試験を終了します。Are you sure?」みたいな画面が出てくる。
「ここは当然Noでしょ。もうちょっと頑張れるはず。」とか思っていると、「Yes」をポチッとされる。
画面普通に閉じる。
ちょっと気まずい雰囲気。

10秒くらい沈黙があった後「手書きに切り替える?」という優しいお言葉を頂く。
「切り替えるもなにもおのれが今終了させたやないか。」と言いたいが、英語が出てこない。

「Yes.」と言う。

すると、ちょっとほっとしたように、「彼はいま、手書きに切り替えることに同意したよな?」「うん、同意した。」「そうだそうだ」と専門家集団は確認しあい、速やかに立ち去っていく。
昨夜の隣室の客といい、これを米軍の陰謀と言わずなんと言おうか。

はっと、時計を見る。既に20分が経過。帰って寝ようかとも思ったが、たぶん眠れないので、完全に開き直ってマルチョイを解き出す。不思議と落ち着いている。

なんとか40分でマルチョイをやっつける。マリノの預言で出てきた論点が結構出てきて、「ここでこのネタ使ってもうたら、エッセイでは出てこないんじゃないか?」とか思う。

マルチョイが終わると尿意が襲ってきたので、トイレに。顔を洗い、エッセイを解き出す。
「丁寧に書かないときっと自分の字は読めない。」とブロック体で几帳面になんとか書き進む。

手が痛い。丁寧に書こうとすると元から筆圧高めなのがさらに高くなるのが災いする。しかも明らかに遅い。

だんだん字が乱れる。手に力が入らない。時間が過ぎる。

タイムアップ。小問一問がまるっぽ解けていない。

同級生達と昼飯、なんか1人でハイになりしゃべりまくっていたような気がする。ご迷惑をおかけしました。

午後にはMPTがある。MPTに臨むに際しては、文章を読みながら使えそうなネタを片っ端から打ち込んでいき、後はそれをなんとか切り貼りして答案の形にするしかないと思っていたので、手書きは痛すぎる。その前に、もう手が限界。

監督員に「午後もPCが動くかどうかトライしていい?」と聞くと、「いいよ。」との返事。このおばちゃんは気の毒がってくれており、この後結構優しくしてくれた。

祈るような気持ちで、「Begin」と打ち込む。

ちょっとタイプに対する反応が遅いが、動いた。
「こいつ、動くぞ。」もしくは「立った。クララが立った。」クラスの感動と驚き。

そこからはもうノリノリ。ルールのでっち上げも苦にならない。MPTも時間ギリギリで小問2問目は非常に短い文章になってしまったが何とか終わらせる。
幸せはなるものじゃなく、感じるものだ。

試験終了後、配布されたUSBにファイルを保存し、監督官に渡した後、同級生の元へ。
同級生はまだUSBにファイルを保存しているところで、画面をのぞき込むと「xx files saved.」の表示が。同級生のUSBにsaveされたfileの数が明らかに僕のより多いことに若干へこむ。

採点者が手書きを解読してくれること、午前手書きで午後PCというイレギュラーな事態に無事に採点者が対応してくれることを祈りつつ、ホテルにいったん戻って、ファイルのアップロード。「10 分後に確認のメール」が来るらしいので、待つが全然来ない。たぶんサーバーが混み合ってるんだろうということであきらめて同級生と再びめんちゃんこ亭へ。しかし「当日の23:59までにファイルをアップロードしないと採点しないよ。」とか言って混雑を敢えて招いておきながら、それに対応したシステムを作らない人々というのはどういう人なのかとつくづく思う。

さすがに疲れているらしく、あっさり眠りにつける。米軍ももう十分だと思ってくれたらしく妨害はなし。

NY4日目/試験2日目(7/30):

すっきり目覚める。
あと○を200個塗りつぶせばこの試験も終わるかと思うとなんだかうれしい。

問題はかなり難しかった。BarBri模試の長文や、PMBRのいやらしい感じの引っかけとは違う、ルールをきっちり覚えているかを試す、短いが難しい問題が並んでいる感じ。むしろもうちょっと問題長くしていいからヒントちょうだいって言う感じ。ノートをきちっと読んで理解することが大事だと感じた。この点問題演習に力を入れすぎ、ノートをあまり見なかったことは反省材料。
感触としてはPMBR模試と同じくらいか?

問題文が短いこともあり、午前中は50分くらい時間が余る。問題を見直そうかと思ったが、模試で見直して回答を変更した問題はことごとく間違えていたことからそのままにしておき、マークミスがないかを確認して、提出→途中退席。

昼休みは、他の受験生達もさすがに疲れている様子で、フェリーの2等客室みたいな感じ。横になる人も多く、僕もゴロリと。

午後一で監督員に「ちょっとちょっと」と手招きされる。聞くとhandwriting sampleは「The jurisdiction code for New York State is 33.」を2回書かないといけなかったらしい。「ちゃんと指示を聞いてね。」と言われる。

指示を注意深く聞くが、やっぱり2回とは言っていない気がする。が、2回書く。

午後は途中で若干息切れし、「問題文に目を通しているが頭に入らない」症状がでる。15分前に途中退席。

外に出ると、JD生達が「Conglaturations! We did it!」とかいって健闘を称え合っている。「おのれらはDORAか?」とか思ってしまう。ただただ疲労感。

夜は蕎麦鳥人(43rd St. bet. 2nd&3rd Aves.)で打ち上げ。お酒が美味しい。

NY5日目(7/31):

同級生のアパート探しにくっついていってUpper East→Central Park→Roosevelt Island。
お昼は寿司田(49th St. bet. 5th and Mad. Aves.)へ。ちらしを頂く、美味しすぎる。

夕方NY事務所に立ち寄り地区支配人その他に挨拶、地区支配人は相変わらずお元気そう。
夜はNY事務所の人たちに8 1/2(57th St. bet. 5th & 6th Aves.)でごちそうになる。1年いない間にいろいろあったことを知り現実に戻る。

NY6日目(8/1):

朝昼兼用でGolden Unicorn(East Broadway & Catherin St.)の飲茶。
台湾人をChinatownで案内しているというのは妙な気分。

紀伊国屋等に立ち寄り、夕方空港へ。
珍しく遅れてないと思ったら、ゲートを離れた後滑走路上で1時間ほど待機。最近遅れるときはこのパターンが多いように思う。
飛行中遙か彼方に巨大積乱雲があり、すさまじい雷光。竜の巣。

とりあえず日程は全て完了。来週金曜に日本に戻り、月曜から出社です。

自己紹介